野母崎の海水浴場から軍艦島を撮影しました。
野母崎の海水浴場から、撮影しました。近くには、軍艦島資料館があり、軍艦島の暮らしを動画放送で見れたり、軍艦島で使われていた器具や、生活用品が、展示してありました。
あれは軍艦? いや、軍艦島です。
世界遺産になる前に見る価値があると思いました。
世界遺産になりそうな場所
軍艦島に上陸してきました。 周囲は海が荒れやすく、波の状態によっては接岸できないそうですが、台風の過ぎた後の穏やかな日で、無事に見学することが出来ました。 ここは江戸時代後期に開かれた炭鉱の跡地です。石炭の需要が増え、多くの人が集まり、人工の島は形成されていきました。大正時代には日本最初の鉄筋高層アパートが建ち、その後、学校、病院、商店、映画館、パチンコ屋と街が造られていきます。多い時では、5300人の人が住み、世界一の人工密集地となったそうです。島の姿が当時の軍艦、土佐に似ていることから軍艦島と名付けられました。炭鉱は海の下深く、2kmも坑道が掘られていたそうです。 時代は移り、石炭から石油にエネルギーの需要は変化すると、採掘量も徐々に減り、今から40年前に閉山し、無人島になりました。潮風によってコンクリートは朽ち果て、島の殆どは立入禁止になっています。 当時の様子を知るガイドさんが、島の広場で詳しく説明してくれます。東京オリンピックの時は、島の全世帯にテレビがあったことには驚きました。もし、ここに自分が住んでいたならと、瓦礫の廃屋を眺めながら想像しました。家族と一緒に過ごし、毎日暗い炭鉱に潜る。幸せだろうかと考えてしまいます。 不思議な感覚を覚えるこの場所は、世界遺産に選ばれる日も近いのではと思います。観光には4時間近くかかりましたが、機会があればぜひ訪れて欲しい場所の一つです。
野母崎の海水浴場から軍艦島を撮影しました。
野母崎の海水浴場から、撮影しました。近くには、軍艦島資料館があり、軍艦島の暮らしを動画放送で見れたり、軍艦島で使われていた器具や、生活用品が、展示してありました。
あれは軍艦? いや、軍艦島です。
世界遺産になる前に見る価値があると思いました。
世界遺産になりそうな場所
軍艦島に上陸してきました。
周囲は海が荒れやすく、波の状態によっては接岸できないそうですが、台風の過ぎた後の穏やかな日で、無事に見学することが出来ました。
ここは江戸時代後期に開かれた炭鉱の跡地です。石炭の需要が増え、多くの人が集まり、人工の島は形成されていきました。大正時代には日本最初の鉄筋高層アパートが建ち、その後、学校、病院、商店、映画館、パチンコ屋と街が造られていきます。多い時では、5300人の人が住み、世界一の人工密集地となったそうです。島の姿が当時の軍艦、土佐に似ていることから軍艦島と名付けられました。炭鉱は海の下深く、2kmも坑道が掘られていたそうです。
時代は移り、石炭から石油にエネルギーの需要は変化すると、採掘量も徐々に減り、今から40年前に閉山し、無人島になりました。潮風によってコンクリートは朽ち果て、島の殆どは立入禁止になっています。
当時の様子を知るガイドさんが、島の広場で詳しく説明してくれます。東京オリンピックの時は、島の全世帯にテレビがあったことには驚きました。もし、ここに自分が住んでいたならと、瓦礫の廃屋を眺めながら想像しました。家族と一緒に過ごし、毎日暗い炭鉱に潜る。幸せだろうかと考えてしまいます。
不思議な感覚を覚えるこの場所は、世界遺産に選ばれる日も近いのではと思います。観光には4時間近くかかりましたが、機会があればぜひ訪れて欲しい場所の一つです。